暇人の日記保管庫

文字通りのアレです

ヤマトファンに擬態して

またSENSEネタ(>_<)

唐沢俊一さんの西崎義展氏追討
http://www.tobunken.com/news/news20110104142504.html

この追討に関する2ちゃんねる有志の検証
12:01/04(火) 17:34
http://www.tobunken.com/news/news20110104142504.html
“機”を見た男 【訃報 西崎義展】

>76年の晩春だったと記憶するが、札幌のヤマトファンたちに
>会いたい、と突然連絡があったときのことは未だに昨日のことの
>ように覚えている。会ったメンバーが四人だけ、全員いろんな
>ファン団体のリーダーではあったが、かろうじて大学生だったのが
>一人だけで、残りの私含めた三人が浪人生という情けない身分だった。

1976年の4月に高校3年になったハズの唐沢俊一
何度も何度も、この時代の事を語って記憶は鮮明になっているハズなのに
どうして、そんな基本的な処を間違って記憶しているんだ?

13:01/04(火) 18:49 [sage]
>>12
1976年って、わざと間違えているような気がするなぁ。

だいたいファン団体のリーダーじゃなかっただろう。
22:01/04(火) 22:17
>>12
浪人中だったか高校在学中だったかを間違えることはないだろうから、
76年という年代のほうが間違いで、実際は77年晩春だろう。
その頃は『ヤマト』劇場版公開の直前。
『ヤマト』は、よみうりテレビ放送の地元・近畿地方から再放送が
始まり、全国のファンの嘆願運動の結果、75年の夏休みに全国的な
再放送が実現している。
スカーレット・スカーフの活動開始が西崎と会う前年だったとしても
その頃はかなりブームが盛り上がっている頃。
ヤマトFCとしては、かなり後発。

23:01/04(火) 22:21
唐沢の最初の歴史では1977年にヤマトの放送を見てハマったと言う事になっていたけれど
1977年じゃ、再放送運動としては遅すぎるぞ!と突っ込まれ続けたので
いつの間にか1976年にハマって再放送運動を始めたという設定にスライドした
その為に、西崎が札幌に来たという歴史が1977年から1年前倒しになって
1976年に来たと言う事になってしまったのか?

24:01/04(火) 22:23
>彼の企画力は復活篇で尽き、その後は陳腐な特攻話を延々パターン
>を変えて繰り返すのみになった感があった。

おいおい、「復活篇」の公開は一昨年の年末だぞ。

27:01/04(火) 22:44
(前略)
去年末に当時のサークル関係の話でこれらしい話があったので
みんな納得して読んでいるけれど、それまでは西崎がらみの話は
こんな感じだったんだよね

『トンデモ創世記2000』 P.172
>唐沢● 西崎義展さん(編注:『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー)辺りも、
>ヤマトを最初に放映したときはかなり懐を痛めたと思いますよ。札幌の
>再放送でようやく潤ったんじゃないですかね。
>志水● 次の作品をはじめるまでの事務所の経費くらいは持つらしいんで。
>唐沢● 西崎さんを札幌に招待したときには飛んできてくれましたからね。

全然違うジャンw

28:01/04(火) 22:50
>自家用クルーザー『YAMATO』(『宇宙戦艦ヤマト』の
>最初の海外公開時のタイトルは『Space Cruiser Yamato』)
>からの転落死とは、不謹慎ではあるが波乱万丈であった人生に
>ふさわしい幕切れであろう。

実際に公開された海外版ではタイトルに“Yamato”は採用されず
“Space Cruiser”だけじゃなかったかな?
(注:アメリカでの題名は『Star Blazers』)

30:01/04(火) 23:02 [sage]
>>28
英語版wikipediaの記載によれば、"Space Cruiser"だけだね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Star_Blazers

32:01/05(水) 00:04
http://www.tobunken.com/news/news20110104142504.html
(今回の追悼文)
機を見るに敏なその手腕は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の、
劇場用パンフを初版10万部印刷しろと配給の松竹に掛け合い、
松竹がパンフなんてものは寅さんでも2万部しか売れないと
拒否したのを恫喝的に談判し、結局4万部刷ったものが即日
完売して追加印刷することになり、結果80万部近くの売り上げに
なった、というエピソードにもよく表れているだろう。

http://www.tobunken.com/diary/diary20081010111635.html
2008年10月10日(金曜日)
西崎氏が『さらば宇宙戦艦ヤマト』のプログラムを100万部刷れ、
と言ったのに対し配給の東映は「日本の映画プログラムの売り上げ記録は
松竹の寅さんシリーズの5万部である」という数字をタテにとって拒否。
さんざやりとりがあった挙げ句、30万部刷ったプログラムが、
初日にもう品切れ。あわてて増刷に増刷を重ね、
最終的には250万部を売り切ったとか。

38:01/05(水) 00:29
宇宙戦艦ヤマト』の配給会社は東映洋画みたいだね。
さらば宇宙戦艦ヤマト』の配給会社も東映洋画。

61:01/05(水) 09:40
宇宙戦艦ヤマト』劇場版も『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』も
パンフの発行元は、西崎が代表を務める「株式会社アカデミー(後「株式会社
オフィス・アカデミー」)なんだよな。

http://members.jcom.home.ne.jp/reyamato/profile/okiroom/goods/yabook.htm

配給の東映がどういう形で関わっていたものか……?


余談
唐沢俊一年表
http://www31.atwiki.jp/karasawafan/pages/14.html