暇人の日記保管庫

文字通りのアレです

(故人になったら)容赦なく

唐沢さんの追討とはという根本的な話

441:04/10(日) 20:10 [sage]
>>438
いわゆる追討もアレだが
友人志水一夫への仕打ちには
ゾッとした

442:04/10(日) 20:11
>>437
追討は追いついていないから、少し先の話かね。
横沢とかスルーした人間も多いんだっけ。

443:04/10(日) 20:17
>>441
いやあれは「いわゆる追討」の代表的パターンでは<志水一夫への仕打ち
劇団の人のときもヒドかったし、知り合いだからといって容赦しないのが唐沢俊一

444:04/10(日) 20:25 [sage]
>>443
なるほど一貫はしてるわけだ

とっても嫌な意味で

451:04/10(日) 21:18
>>442
よく考えたらだけどね、追悼が追い付くとか追い付かないというテンテーの言い種も変なんだよ。
故人に何らかの思い入れがあって、どうしても今これだけのことを言って死者の魂を見送りたい、
というのであれば、わざわざコラム的な記事にする必要はないし、言いたいことが本当に揃っていれば、
あれもこれも言いたい、言わずにおけないで、特に字数を定めなくても自ずと内容も分量も決まる筈。
だから、毎回毎回同じような字数になる筈もないんだよ。

テンテーの場合にそうじゃないのは、言いたいことは特にないけど知識自慢はやっておきたいな、と
死者をダシにしてるからってのもあるんだろうけど、追悼に限らず、何かを執筆する時にテンテーが
発想するのが、このお題でどういう芸をしようかな、ということなんじゃないかと思うんだよ。

つまり、自分の書いたものがウケるかウケないか、しか見えてない。
故人に対する思い入れなんて元々あるわけじゃないから、故人に対する敬意はハナから飛んでしまう。
「面白いこと(何か突飛なこと)を言って喜ばせてやるんだからちょっとぐらい水に流せよ」という態度。

それが、「社会派くん」や追討日記の不謹慎さ・不愉快さを生み出す背景になってると思うんだ。

454:04/10(日) 21:48 [sage]
>>451
「訃報日記について」のこのくだりがなあ…

>いや、有名人というのは
>よく死ぬものですね(ちと不謹慎)。ふるいにふるいをかけ、落としに落として、
>1980年までで120人を超えてしまいました。
>あと20年も残っているのに(泣)。

本当に自分と自分がどう見られるかしか
考えてないのが丸分かりでなあ…
(本当に該当する作業をやったのか?という点もふくめてなあ)

455:04/10(日) 21:54 [sage]
自分がどう見られるかまで織り込み済みでこの態度なら分かるんだけど
テンテーの場合はなぁ…

456:04/10(日) 23:20 [sage]
墓場荒らし、屍肉喰らい、香典ドロってスレタイに入れて欲しいなぁ。

458:04/10(日) 23:30 [sage]
>>455
ああ確かに「見られること」を意識してたら
こんな有り様には…
あと「芸」うんぬんでいえば
テンテーのは「その件にはこういう雑学があります」、
「その件にはこういう考え方ができます」
っていうんだけど
どっちも面白くないんだよな

蘊蓄なら、知泉さんのほうが、深いしセンスもあるし
暴言なら、筒井の「笑犬楼」やビートたけし週刊ポストのほうが、ずっといい
(比べる方が失礼かもしれないが)

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