暇人の日記保管庫

文字通りのアレです

理想の話

本当は追悼(追討ではなく)とはどうすればいいの?

460:04/23(土) 12:06 [sage]
愛着がなくたってもっと調べられると思うぜ
もちろんファンコミュに愛されるには敬意は必要だが、
そううのを排したクールな記述でいくという手もある
466:04/23(土) 12:22 [sage]
愛着が薄くても「理解」につとめればいいのにな
無署名記事の平均水準よりずっと劣るのはさすがに…

470:04/23(土) 12:37 [sage]
>>460,>>466
今回「愛着」がポイントになるのは、追悼文だから。
それも、原稿料が発生する「仕事」としてではなく、個人的な思い入れの表現として書くべきもの。
もちろん、非感情的に徹することで逆に読者に感動を誘う厳粛な例が無いわけでは無いけど、
そこまで唐沢にテクニックを求めるのも、酷かと(笑)。

別に音楽に愛着が無くてもいいんです。
でも、故人に対して敬意が、故人の業績(故人が関わった作品)に対して愛情があるというなら、
枝葉末節と言われるくらいきちんと調べて書くべきじゃなかったのかと思うわけ。
(後略)

471:04/23(土) 12:39 [sage]
>>470
枝葉末節が暴走する「トリビア」スタイルの訃報って、
俺は必ずしも文章としてはいいとは思わないんだよね
「愛」で色々許してもらえちゃうところも含めてね。
唐沢の場合はすべての面で不合格なんだけども

474:04/23(土) 12:51 [sage]
>>471
勿論、知識自慢が何よりも先に感じられる唐沢の文体(「トリビア」スタイル)は論外だよ。

唐沢のいけないところは、抑えるべきは抑える、出すべきところを出す、それが無いから、
文章にメリハリが出ないし、「俺様のお勉強会スゲーだろwww」になっちゃうんだと思う。

困ったことに、そういうのを面白がる人(芳醇の人だけでなく、先日の仙台の鯛焼きの人とか)
がいるのも確かではあるんだけどね。でも、そういうのに需要を見出してるようではどうし様も無いな。

475:04/23(土) 13:27 [sage]
知泉さんが何度か書いた、自分が好きだったミュージシャンなどへの追悼文は
忌野清志郎加藤和彦三木たかし阿久悠など)
トリビア的な「へぇそうだったんだ」というネタが満載だったけど
ちゃんとその人への敬意が溢れていた。本当に音楽が好きなんだろうなという
事がよく解って、その文章を読んだ後、そのアーティストの曲を聞きたくなった。

唐沢の場合、追討をしても、映画の感想を書いても、
常にその中心にいるのは「俺様唐沢」だから、イラッとする。

477:04/23(土) 14:04 [sage]
>>475
唐沢スレッドでも、知泉さんの鈴木ヒロミツへの追悼文が話題になったとき、やっぱり
そういう話が出たんだよね。
http://tisen.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_fb97.html
で、これを読んだスレ住人同士で音楽談義に花が咲いて、
「唐沢の追討ではこんな流れにならないのに!」と驚きの声が上がったのを覚えている。
実は私は、その時ようつベのアドレス(モップス月光仮面のカバー)を貼った一人。