暇人の日記保管庫

文字通りのアレです

小ネタ

昔からそうなんね
118:07/03(日) 22:07 [sage]
眠田は匿名嵐はやらないだろ
書き込むときは正々堂々mindy9のハンドルを名乗る
122:07/03(日) 22:12 [sage]
>>118
その昔、自作自演でファンを装って持ち上げる投稿を雑誌にしてたみんだ☆なおがか

125:07/03(日) 22:16 [sage]
>>122
kwsk

138:07/03(日) 22:39 [sage]
>>125
月刊OUTって雑誌でたまに掲載されてた頃に
読者投稿欄で「みんなはみんだ☆なおさんを誤解してる!」とかの投稿があったんだけど
その投稿者の所在地(大阪府○○市)が眠田直と同じだった

139:07/03(日) 22:42 [sage]
>>138
?
アウト読んでいたけどすっかり忘れていた。80年代中期あたりかな? 
実家のバックナンバー捨てられてなかったらチェックしてみよう。

140:07/03(日) 22:42 [sage]
アンチって住んでいる市が同じなだけで同一人物認定してしまうほど同一人物妄想がひどい売れない
ライターが多いのかな?

142:07/03(日) 22:58 [sage]
>>138
その時点で既にみんだが叩かれてたってこと?
スレチで悪いがもうちょいkwsk

143:07/03(日) 23:04 [sage]
>>140
毎日毎日休みなく同じような書き込みするほど暇なんだね。
少なくともお前は絶対売れているライターではないなw

144:07/03(日) 23:08 [sage]
>>142
私は大阪出身だから面白く読んでたけど
他の人等は嫌がってたみたい
人気があればすぐにレギュラーで載る傾向があったのに
みんだ☆なおはたまに掲載されるだけだったし
ネットが出だす前のアニメ系オタク雑誌のスレやトピでは
みんだ☆なお関連はネガティブな噂話で少しだけ盛り上がるよ
その後の出版バブルからと学会のメンバーでありながら
ピンで書籍が出せてない現状を考えるとむべなるかな

サイト見たら一冊だけ出してんだね
しかし漫画家なのにイラストは他に頼んでる、と
絵が全く進歩してないどころか劣化してたら仕方がないか
一冊だけ買ったと学会の本に載ってたイラストも手抜きだったしなあ
ゆでたまごですら中年になってからCGの専門学校に通って
精進したというのに……



もとめられてるもの
974:06/26(日) 23:13 [sage]
はっきり書いてしまおう。

唐沢先生は、それなりに人たらしのテクニックを心得ている
人だから、味方になっている人物も多い。
唐沢先生を中心にした「と学会」会員やサブカル関係者の人脈は
半端な規模ではないし、その人脈の居心地の良さを守りたくて
無茶な行動に出る友人がいてもおかしくはない。

しかし、唐沢先生のやってきたことについては、
彼らのほとんどが知っていて目を背けているか、
大した問題ではないと主張している。
一度活字にしてしまった盗作やニセ知識は隠しようが
ないし、パワハラについては裁判記録まで残っている。
一時的に面白い語り口の文章と、世渡りの巧さで売れっ子
になったとしても、それが唐沢先生の不正を帳消しにする
ものではない。
だから、有効な反論などできるわけもない。唐沢先生に好意的な人たちが
採れる手段は限られてる。

1.事態を徹底無視
2.批判を唐沢先生への揚げ足取りと解釈して「誰の著書にも欠点はある」で済ませる
3.ドラゴン山崎氏や芝崎氏のように低レベルの反撃をすることで一連の論争を低レベルの口論と
ギャラリーに印象づける
4.批判する側の失点や、猫八氏のようなエキセントリックな人物の行動などを
クローズアップして、唐沢先生の不正と相殺する

こんなところだろう。しかし、それでいいのだろうか?
唐沢先生は仮にもプロだ。プロの仕事に不正があったら、そこは検証し
批判する側に落ち度があるのなら、検証のあとに指摘すべきではないのか?



アマゾンレビューの怪
225:06/27(月) 23:17 [sage]
伊藤 剛
>ぼくが二冊目の本『マンガは変わる』を出した際(07年暮れ)、アマゾンの読者レビューに
>酷評が二本載りました。
>いずれも、本を読まずに書ける内容で、うちのひとつは『マンガは変わる』についての感想
>を書いたブログ(たいへん好意的なもの)に書かれていること<だけ>を参照しているよう
>でした。
>当時2ちゃんねる唐沢スレで話題になり、「これは先生本人なんじゃ?」などと言われてい
>たものですが、ほどなくして消滅していました。確か2ちゃんねるにコピペが保存されてい
>たと思うので、関心のある方は参照してもらえればと思います。なお、その「酷評」レビュ
>ーには「参考になった」票がわずか3時間ほどで何十も入るという謎の現象も見られています。

>まあ、『マンガは変わる』のアマゾンレビューが誰のものだったかは知る由もありませんがw

226:06/27(月) 23:18 [sage]
そのレビューとはこれ

13 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
そして「理屈語り」から「自分語り」へ, 2008/1/17
By 桐原保 (大阪市住之江区) - レビューをすべて見る

過去10年ほどの間にあちこちの媒体に書いた原稿を、
経年順に並べているために雑然とした印象を与えるが、
そういった刊行の形式はエッセイや評論に多く、
とりたてて言うようなことではない。
しかしこの本のようにある程度以上の分量があれば自然に著者の意図や方向が見えてくるものだが、残念ながら読了してもこの本からはそういったものは浮かび上がってこず、
更には著者がマンガを語る切実な声も聞こえてくることはなかった。
在ったのは扱われるマンガの分析や紹介、説明といったものだけで、
どのようにマンガが変わるのかも分からないままで放り出されることになってしまったのだが、
マンガを語って切実な声が聞こえてこないのは著者の「理屈好き」によるところが大きいようだ。
マンガから意味をすくいとり自分のことばで読者にさし出してみせることが
マンガを批評することの初手だろうが、
著者はマンガを材料として自分の理屈を語る「理屈語り」とでもいうべき性向が強く、
対象への柔軟で慎重な姿勢に欠けるようにみえる。
この本の為に書かれた序文ではマンガの「語り」の変遷が述べられるが、
なぜ「語り」から「論」でなくてはならないのか、理解に窮してしまうのは別にして、
この文章の最後に唐突に現れる「マンガを愛する自分を貶めないでほしい」
という部文には強い違和感を持った。
自分を貶めるようなマンガとは一体どのようなマンガなのか。
謎ではありながら、唯一この部分に思わず漏らした著者の切実な声らしきものを聞いたような気もしたが、
そうであるなら、それは決して「愛」というようなものに関係するものではなく
「理屈好き」と同じく「性向」と呼ぶべきものだと思う。
この著者には徹底した「自分語り」を勧めたい。